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中津川の地図 宝探しに出掛けよう!

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中津川市中山道歴史資料館

館長 安藤嘉之さん(元小学校教諭)

歴史が動く瞬間を見届けて来た

中山道中津川宿。

中山道を知ることは、中津川を知ること。

未来の中津川も見えて来る!

安藤館長に会いに行きました。

中津川宿の気風

中津川駅から5分の距離に建つ新しいマンション脇の小道に

民家に交じって建っている木造の家屋が

通称「桂小五郎の隠れ家」かつての料亭「やけやま」のあったところと言われています。

この現在、中山道歴史資料館がある本陣からも近い、

料亭「やけやま」になぜ、

長州藩の桂小五郎が身を隠していたのか?

文久二年(一八六二)

江戸の長州屋敷から京都に向かう

藩主毛利高親を「開国派」から「攘夷派」へと説得するためでした。

長州藩主の中津川宿本陣の滞在は3日にも及んだそうです。

通常は、藩主は本陣に1日しか滞在できないことになっていた。

なぜ3日も滞在することができたのか?

中津川宿の人達が仮病を使って延泊を報告していたからです。

また桂小五郎も中津川宿の人々がかくまったたからこそ

隠れていることができたのです。

では、なぜ?尾張藩・中津川宿の人々が長州藩主と藩士をかくまったのか?

一説には、尊王攘夷の平田国学の影響と言われていますが、

それだけではないと思います。

そこには、宿場町・中津川ならではの時代を読む目と、

頼まれたら断らず、内外の区別なく人を受け入れるなど、

外に開いた中津川人の気風が大きく影響していたと思います。

この「中津川長州会談」によって長州は攘夷へ―

薩長同盟が結ばれ、歴史が動いた。

さあ、宝探しに出掛けましょう!

大名や公家、幕府の役人が泊ったり、休憩する本陣。

もし、敵が攻めてきたり、火事があった時の避難場所が

本陣裏手の大泉寺(現在、北野に移動)でした。

その大泉寺へ渡る石坂の小径の途中、

用水の上に石橋が架かっています。

かつての御退道に架かる石橋は、

江戸時代からずっと変わらずに今も同じ場所にあります。

殿様が渡ったその橋を今、私たちが踏みしめることが出来るのです。

中津川、特にこの本陣の周りにはそんな場所があちこちにあります。

庄屋居宅の古い建物や

旅籠や商家が当時の面影を残して現存しています。

当時の道がそのまま残っています。

歴史上の出来事が人ごとではなく

自分の生活と繋がっているのです。

これはとんでもない宝です。

今を生きる中津川の人々にとって誇りです。

そのことを中津川で暮らす人々が知って、守ることで

更に未来に繋げることができます。

これを一度手放してしまったら、

もう二度と戻っては来ません。

(安藤館長のお話より)

2027年リニアモーターカーが中津川にやって来ます。

その時、何を誇りますか?さあ、宝探しに出掛けましょう!

この宝物と、元来の外に開いた中津川人の気風こそ、

これからのグローバル社会に向けて、最強の資源になると思います。

中津川には、中山道がある-ちこり村は応援します!

 

【取っけえべえ!31号】

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