| 社長・中田智洋の軌跡 |
サラダコスモの軌跡 |
1950.7
岐阜県に生まれる
ラムネともやしの製造販売業の長男として誕生 |
ラムネ屋の冬季副業としての「もやし製造」 |
1969.4
駒澤大学経済学部入学
高校の恩師の薦めで進学。
大学の講義で倫理としての仏教を学ぶが、その後の人生に大きな影響を。
4年生の時、インドからヨーロッパへ4ヶ月の旅。
貴重な経験となる。 |
大手清涼飲料水の登場で「ラムネ屋」低迷。 |
1978.6
父が倒れ家業を継ぐ
ラムネ製造から撤退。もやし専業に。 仏教の考え「母親が子を思う気持ち」から、消費者の健康を第一に考えた無漂白・無添加もやし製造をはじめる。 |
社長就任
もやし生産専業
「ナカダ産業」 |
茶色いもやし苦戦。
生協から評価されたことをきっかけにスーパーなどに直販・直送の販路を築く。 |
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無添加・無漂白もやし認知されるが・・・
手形が不渡り寸前!
黒字倒産!?の危機を経験する。 |
アルファルファ工場増設。
大阪営業所開設。
信州工場新築。 |
1989.7
興銀より30億円の融資を受け、事業を成長過程に。 |
90年ナカダ産業から「サラダコスモ」に組織変更。
92年 本社工場新築完成。
売上高3倍 |
1995.
ニュービジネス協議会「アントレー大賞」受賞。 |
信州第二工場完成。 |
1996.
アメリカで無農薬のカイワレ大根の種を100パーセント自社生産に。
単身で渡米しキャンピングカー生活をしながら種づくりをはじめて6年の
歳月が過ぎやっと思いが実現。
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96年8月7日 O-157事件報道
アメリカ工場建設開始、2年後完成 |
2000.
50歳の節目の年を3ヶ月かけてアラスカからアルゼンチンまで2万キロを車で縦断する。
2000.12
(株)ギアリンクス設立
岐阜県の食料自給率向上と非常時の食糧確保を目的に地元経済界有志と設立 |
1999. 有機(オーガニック)緑豆もやし開発。
2000.カイワレ大根無化学肥料栽培に成功
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2002.
オランダに合弁会社SALAD SPRUIT BV設立。 |
2002.1月 ブロッコリーの新芽(スプラウト)発売。
2002.9月 ファーストチコリをオランダより輸入販売開始。
同12月 そばの芽生産・販売開始。 |
2003.9
中津川市西山地区に新生産施設完成。
生産効率のみならず環境・衛生に考慮した最新鋭工場。
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ブロッコリー&アルファ生産開始。
(有)中津川サラダ農園設立。 |
2004
ヨーロッパの高級野菜チコリの国産化にむけてスタート。
長野県飯島町で芋のテスト栽培。
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2004.7
インターネット通販スタート。 |
2005.
近い将来の食糧危機を見据えた活動として国産チコリ事業を決意。
農地耕作面積が減少する中、休遊地の有効利用や地域社会への貢献そして、高齢者の雇用などなどを柱として国産チコリの芋づくりを本格スタート。畑の土づくりから試行錯誤を繰り返す。 |
2005.1月
兵庫県三木市に三木生産センター新築完成。
2005.6月 宇都宮工場増設。 |
2006.
旧工場跡地に国産ちこり新工場やちこり焼酎の生産施設の建設。
畑でのちこり芋づくりで長野県南牧村との取り組み開始。
このちこり事業を通して、 食糧自給率の向上、高齢者の雇用、地元中津川の観光事業など地域の活性化もはかって行きたい。
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2006年
5月 チコリ生産施設完成。中津川市の特産品として国産チコリ生産開始。
7月 (有)中津川サラダ農園生産施設の増設完成。
ギャバ発芽大豆リニュアル
10月 岐阜・中津川蒸溜蔵完成。ちこり焼酎「ちこちこ」生産開始
11月 おくらの新芽(スプラウト)生産開始
12月 「教育型・観光生産施設」岐阜中津川ちこり村オープン
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2007.
野菜の相場安の影響などで低迷。 |
ちこり関連商品開発
(ちこり茶、ちこり珈琲、ちこりクッキー、ちこりアイス、ちこちこロール、ちこり焼酎ケーキなどなど)
2007.10月
飛騨・美濃すぐれものにちこり&ちこり焼酎が認定 |
2008.
ギアリンクスがはじめての黒字決算
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2008.3月
信州第二工場と本社部門、ISO22000認定取得。 |
2009.
食糧確保のギアリンクスの活動を紹介するためちこり村内に日本人移民農家紹介展示場開設。
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2009.3月
ちこり村改装オープン。
ちこり茶ペットボトル開発。 |