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苗木城築城500年 天空の城から見渡す動乱の世

苗木城築城500年 天空の城から見渡す 動乱の世

◆中津川市・苗木城築城500年

もう一度、行きたい城がそこにある。

2026年10月4日(日)

苗木城まつり

詳細はHPにて随時更新中

https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/tcs/kankou/naegi500/index.html

◆苗木遠山史料館

歴史を動かした貴重な資料徳川家康の直筆の書状の展示他、公式サイトには、四季折々の苗木城跡の写真が多数掲載。

https://www.city.nakatsugawa.lg.jp/museum/t/index.html


◆武田・織田・豊臣・徳川

 天下人たちに翻弄される苗木城

1526年地元の有力豪族・遠山氏によって築かれた苗木城。美濃国(現在の岐阜県南部)の東端に位置するこの城は、甲斐の武田勢による美濃侵攻の中で、一時、武田の支配下に置かれました。しかし、1575年織田信長・徳川家康連合軍と武田勢が激突した長篠の戦いで織田・徳川軍が勝利。これにより苗木城は武田の支配から離れます。ただし、遠山氏は城に戻ることを許されたものの、信長は縁者を苗木城はじめ東美濃に配置し直接支配しました。動乱の世、天下人たちの権力争いに翻弄される苗木城。そして転機を迎えます。それが、あの本能寺の変です。

◆苗木城を奪還せよ!

本能寺の変の後、天下統一へと歩みを進める羽柴(豊臣)秀吉に従わなかった遠山氏は、苗木城を追われ、東国最大の勢力となっていた徳川家康のもとに身を寄せました。そして迎えた1600年。関ヶ原の戦いに先立ち、家康は遠山氏に東美濃奪還の先鋒として苗木城を取り戻すよう命じます。苗木城は、遠山氏にとっては悲願の先祖伝来の城であり、家康にとっても東美濃支配の要でした。

苗木遠山史料館には、徳川家康直筆の書状が展示されています。これは、家康が東美濃の国衆たちと直接やり取りをしていたことを示す貴重な資料です。東美濃は、木曽路を通じて信濃と美濃を結ぶ交通の要衝であり、家康にとっても決して見過ごすことのできない地域でした。

遠山氏は苗木城を奪還し、その功績によって、苗木城と旧領の支配を家康から正式に認められました。以後、江戸時代を通して一度の国替えもなく12代・270年間にわたり苗木藩を治めます。戦国の動乱を生き抜き、先祖伝来の城を取り戻した遠山氏の歴史は、まさに苗木城500年の物語そのものです。

◆川霧の向こうに見えるのは

明治維新を迎え、苗木城は廃城となり、建物の多くは取り壊されました。しかし現在も、苗木城跡には足軽長屋跡や大矢倉跡など、多くの遺構が残されています。大手門跡から四十八曲がりを登る正規のルートは20分ほどのハイキングコースです。

苗木遠山史料館の脇から登ると、足軽長屋跡が見えてきます。ここは現在、天守台と恵那山を同時に望める絶景スポットです。その先風吹門跡の左側には、かつて三重の大矢倉が立っていた大矢倉跡があります。階段を上がることで、その大さきを実感できます。いよいよ大門跡を抜けると、本丸跡へ。本丸の南側には、巨岩・馬洗岩があり、数歩進めば、天守台・現在の展望台にたどり着きます。寒さ厳しい早朝、木曽川から立ち上ぼる川霧に浮かぶ苗木城。霧の先に見えるのは令和の日常か、あるいは500年前の乱世か。

ようこそ、天空の城へ。


ちこり村は苗木城跡から車で15分◆営業時間お正月以外年中無休8:30~17:00◆

栗きんとん味かりんとう 中津川めぐり 苗木城跡

ちこり村店舗や苗木遠山史料館などで販売中!

旅の昼食に。

栗おこわ

ランチビュッフェにてご提供中。(9月1日~12月10日)

※マルシェでも販売します。

詳細はちこり村公式サイトをご覧ください。

https://www.chicory.jp


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