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社長5つの気持ち その1「出会い編」

生において“出会い”は、重要なものですが、
それが会社のトップとなると、その出会いが、会社の運命をも左右してしまうことがあります。

 

長の人生において忘れられない出会いの一つが、まだまだ青かった!?高校時代の恩師に遡ります。

業のラムネ屋を継ぐのが当たり前と思っていた中田に、
「進学」を決意させた先生がいたからこそ、今のサラダコスモの起点を見つけることが出来たといえます。
教師になるため駒澤大学経済学部に入学した中田は、大学の講義の倫理として仏教と出会います。
そのことがその後の人生に大きな影響を与えることになったのです。

〇吊り橋・社長

学卒業後、教師にはならずに家業を継ぐ決心をしました。

それは、遠回りな決心にも思えますが、自分の、そして会社の方向を決定するには、
必要な道のりでありました。
大学の4年間のうちに中田が学んだことは、
「自分が幸せになるためには、まず周囲の人や自然を幸せにしなければならない」というもの。
わかりやすく言えば「母親が子どもを思う気持ち」が大切であるということです。
家業を継いで、「もやしを漂白するのは、体に良くない。だから漂白しない」
そんなシンプルな決心は、遠回りをしてはじめて見えたものなのかもしれません。

 

れられない出会いがあります。生涯忘れることはないでしょう。
それは日本興行銀行との出会いです。

無添加・無漂白のもやしの成功で商売は軌道にのったものの、
嬉しい悲鳴で生産が追いつかない。
新しい工場があれば・・・。そんな時、名古屋でセミナーがあり、
地下鉄の出口をまちがえ日本興業銀行の前に出ました。
何か融資の良い話でもないかなと中田がウロウロしていると、
守衛にあやしまれて、守衛室に連れて行かれてしまいました。
そこに営業部から若い銀行員がやって来て、いろいろ話を聞いてくれました。
でかい夢の話からお金を貸してほしいことなど取り留めなく話したと言います。
若い彼が「とりあえず直近3期の決算書のコピーを郵送してください」というので、
中田は大喜びで、翌日持って行きました。
当時、興銀といえばキング・オブ・バンクとも呼ばれていて、
うちのような中小企業に融資するはずなどなかったのですが、
1週間後には、その銀行員さんが工場を見に来て、
3ヶ月後に、売上が11億円、借り入れが10億円の会社に、30億円融資してもらえることになったのです。
うそのようなホントの話。おかげで事業を成長過程に進めることができました。

その29歳の若い銀行員に聞きました。「なぜ融資してくれたのですか?」と。
すると彼は
「中田さんは、夢が語れてソロバンが立つ。
片方できる人はいるが、あなたは両方できる。だから融資しました」

翌年、彼は、シカゴに転勤し、帰国後、融資のおかげで完成した工場を見に来てくれ、
すごく喜んでくれたのです。売上も3倍になっていたのです。

銀行と聞くと、取っ付き難い感さえありますが、生身の人間対人間であることに変わりありません。
そんな人間くさい部分を引き出し、味方につけてしまうのが、
中田の武器であると言えるかもしれません。

 

その彼は、東京本店で為替の仕事に就きました。
大変な仕事だったのでしょう。わずか半年後、35歳の若さで、急性白血病で亡くなってしまいました。
中田は、取るものも取りあえずご焼香に伺いました。
それから半年くらいしてから彼の奥さんから手紙が来たのです。
「主人は、いつも名刺入れに、あなたの名刺を入れていて、何かにつけ『俺はこの人を応援しているんだ。
力になってあげるんだ』と申しておりました」そう書いてありました。
私の事業が成功しても、しなくても彼には関係ない。それどころか責任をとらされる。
にもかかわらずこんな私のために、自分が危ない橋をわたって稟議書を書き、融資をしてくれた。
この意思に報いようと中田は、強く思ったと言います。

自分の利益だけにこだわらずに、良いと思うことをやって行こう。

今もその姿勢は続きます。 人との出会いが、人を変え、会社を動かす。

だから大切にしたいと思います。

 


時には遠回りも必要です。たくさんの人との出会のチャンスが増えますから。


そしてその出会いが、人生のかけがえのない転機になるかもしれませんから。


株式会社サラダコスモ 中田智洋

 

社長5つの気持ち その2へ続く

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2005-04-19 | Posted in 社長の気持ちNo Comments » 

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