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社長5つの気持ち その2「一転び一起き編」

生・・・といっても、日々の積み重ねですから、
上手く行く時もあれば、上手く行かない時もある。
思い通りに行かない時にこそ、次に進むチャンスが潜んでいることも、少なくありません。

田が実家に戻って、数年後に父(前社長)が倒れました。
突然、次の日から社長になることになったら?
いくら経済学部を出ているとはいえ、経営のことは、素人同然。
それでも無漂白・無農薬のもやしが受け入れられ売上は順調に伸びて行きました。
もやしの生産キャパは、工場の大きさで決まります。
だから、どんどん増設しました。その資金繰りは、手形。
期限までにお金がなくても、売上が伸びていたから銀行から借りて落とせばいい。
未熟でした。そんなことを繰り返す中田を見限って、銀行が手形の融資を断ってきたのです。
300万円融資してもらえないと、3日後の1000万円の手形が落ちずに不渡りを出してしまう。
このままでは、黒字倒産です。
そんな時、新しく信州第二工場を建てた長野の地元銀行に融資をしてもらえることになり、命拾いしました。

社倒産!?の危機では、ありましたが、このことで多くのことを学んだ中田です。
銀行との付き合い方や、売上数字の正確な把握などの基本的なことは、もとより、
「すべてのことは、必ず上手くはいかない」と思えるようになったことです。
それは、悲観的になったとか、後ろ向きであるとか言うことではなく、何か物事を進めるときに、
必ず上手くいかなかった時のことを、想像できるようになったということです。

漂白・無添加のもやしが受け入れられ、認められるようになると、
種の安全性を問う声が聞かれるようになりました。しっかり応えられるようにしたい。
1979年頃には、すでにトレイサビリティーの重要性を感じていたのです。
その思いから、7年後アメリカで無農薬のカイワレ大根の種の自社生産にこぎつけました。
中田自ら、アメリカへ渡り、一からの種作りへと駆り立てたのは、
興銀の若い銀行員の方との出会いが、少なからず影響していたのでしょう。
(社長・中田5つの気持ち その1出会い編.より)

先に、日本で腸管出血性大腸菌O-157による集団食中毒が起きました。

驚いたことに、原因はカイワレ大根と報道されました。
7年間かけて、自分の信じるカイワレ大根の種を日本に届けられると思ったその時に。
もちろん注文は激減しました。
工場には、自信をもって届けられるカイワレ大根が出荷されることなく、山積みにされていました。

しかし、この事件は、近年の狂牛病問題や、農薬問題より以前に、
消費者のみなさんに安全・安心へと関心を向けさせるきっかけともなったのです。 

とより、心・安全を第一に、生産をつづけてきました。
今こそ、その思いを貫く時だと実感しました。
事件以前にも大腸菌の検査を自社検査で行っていましたが、
PCR機(サルモネラ菌やO-157菌を遺伝子レベルで発見する方法)を導入し、
更に安全へのチェックを徹底しました 。

件は、カイワレ大根を生業とする会社に、その存続を脅かす程のダメージを与えたものでしたが、
中田に、そしてサラダコスモに、「安全・安心の野菜作りこそ求められるものだ」と再確認させた事件でもありました。

さらに、それまでの中田は
「二流の商品をいくつも置いても仕方がない。ピカピカ(一流)の商品ひとつをだいじに育てればいい」と
かたくなに信じていましたが、「一流の商品をたくさん育てられる会社が本当に強い会社」なんだ
ということに気づかせてくれました。 

てもい事件では、ありましたが、起き上がったサラダコスモをとても強くしたと思います。
一度転んだら、一度起きればいい。
起き上がった時は、転んだ時より、強くなっているはずだからです。
「転んでも、ただでは、起きない」という言葉もありますが、
転んだ時は、起きることだけに専念した方が良いと思うのです。
起き上がった時に、必ず何か得るものがあると思うからです。

信州第二工場

信州第二工場

 


 

一度転んだら、一度起きればいいんです。
転ぶことを恐れずに。転ぶのも、たまにはいいですよ。痛いですけどね。

株式会社サラダコスモ 中田智洋

 

社長5つの気持ち その3へ続く

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2005-04-19 | Posted in 社長の気持ちNo Comments » 

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