「なかつがわ今昔物語」Vol.5 中山道中津川宿
卯建が映える旧・肥田(曽我)家 庄屋・旅籠から医院へ 静かな存在感
江戸期の宿場町の風情が今に残る中津川市本町(中山道中津川宿)。なかでも最も豪壮な建物が旧「肥田家」です。屋根の両脇には大きな卯建(うだつ)を備え、正面の外壁は黒漆喰(しっくい)。ひときわ威容を放ちます。
小道を挟んで東側が市の中山道歴史資料館。資料館は「脇本陣」だった森家の跡に建てられ、江戸期、森家と肥田家が中津川宿の脇本陣を務めていました。「本陣」の市岡家は森家の向かいにありました。本陣建物は今はなく、森家も土蔵などが残るのみ。旧・肥田家だけが全体の形をとどめています。
2階建ての大型町屋建築です。正面の間口は15・5メートル、奥行きは22・8メートル。敷地の間口は20メートル近く。建築年代は不明ですが、基本構造は江戸中期にさかのぼり、庭は古木と石、池が配されています。庄屋を務めながら旅籠(はたご)も営み、各地の殿様や明治維新を担った要人も東西を行き来するなかで宿泊しました。
19世紀から20世紀に変わる明治30年代に曽我家に移譲され、曽我家は医院を開業。昭和初期まで地域の医療に貢献しました。曽我家はその後、教育の道を歩みました。
この家に育った曽我順一さん(69)が昔を語ります。「部屋は15室ぐらいあったかな。子ども時分、父がお化けの話をすると恐くてね、トイレに行けなかった。でも、夏には庭にホタルが飛んで、それは美しかった……」
今は無人となり、一般公開もされていませんが、約300年の時を刻む市の有形文化財は静かに存在感をたたえています。
1_大きな卯建が映える旧・肥田(曽我)家=中津川市本町

2_向かって右方向からの景観

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「一斎先生こんにちは」Vol.3 庶民的な古道具屋さん
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